高齢妊活・高齢妊娠のリアルな体験談を集めました

35歳以上の女性に妊活している、または妊娠して無事出産した体験談を書いていただいたものをまとめました。

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不安を乗り越えて、幸せをつかめました。

結婚して17年になります。

 

結婚が決まったとき、自分が高齢出産になるので、早いほうがいいと思いました。上の子はラッキーなことにハネムーンベビーでした。下の子の時は、4年後で、そろそろほしいな、と思ったときに授かりました。

 

妊活をしたのは下の子の時、1年くらいです。

 

妊娠は子宮筋腫と共に・・・

私の子宮には、もともと子宮筋腫があったと結婚する前に診てもらった、産婦人科の先生から聞いていました。

 

上の子の時も初めに子宮筋腫のために、安静を要する妊娠生活だったので、毎日の体の変化には気を付けていました。もし妊娠したら、いつ出血するかわからなかったので、重いものは常に持てないし、お風呂に入るときにも長湯や温度も高すぎることのないようにしました。

お腹をこわしやすかったので、1枚多く下着を着けて、夏でも靴下をはきました。冷やさないようにゆったりとした腹巻を1日中着けていました。

上の子は3歳でしたので、もうだっこはしなくても良かったので、たすかりました。公園に遊びに行くときは主人に任せて、子供が平日に公園に行きたいとせがむときには、30分くらいで帰りました。

子供はもう一人ほしかったし、子供に寂しい思いをさせないためにもと、頑張ろうという気持ちと、いきなり来る出血を思い出して、もしものときの不安と、責任をいつも同時に持ち合わせていました。私たち家族は、この試練を超えないと、子供は持てなかったのです。

 

一人目の妊婦期間は辛かったです

第一子をおなかに入れたとき、しばらくして下腹が痛くなり、張りが戻らなくなりました。

受診すると安静と先生から言われました。私の実家は1時間半位かかるとことにあり、思うように助けてもらえませんし、それに、父がガンで入院したところでした。

安静と言っても家事はしなくてはいけないし、主人の母が来てくれるのですが、かえって気を使いました。

元気な人には、体の弱いものの気持ちはやはり伝わりにくいものです。動くなと言われても動かざるを得ないようになりました。その後出血した私は、入院することになりました。

 

同じような状態の人が実家のお母さんと話しながら、「安静って言うけど、どうしろっていうの。」と嘆いていました。その後、その方は流産されました。自分で守らなくてはいけないと、強く思ったのです。

 

退院して5か月に入り筋腫がやわらかくなり、動けるようになったので、家事を始めました。主人がお母さんを呼んで毎日助けてもらえと強く言うので、しんどくなることをわかってもらうのに大変でした。

 

冷たいと言われたことで、心に引っかかりました。この時、実家に帰りたいと、どれだけ泣いても帰れませんでした。本当につらかったのです。

 

そのとき、友だちのお母さんが私の気持ちを受け止めて下さり、ご飯をごちそうになったり、友達の子育てを教えてもらったりして前向きに子供と生きる気力が生まれました。

 

腹帯を巻き、お腹の子供と買い物に行ったり、音楽を聴いたり、テレビを見て笑ったりしながら、動いて反応する子供と過ごしました。

ビードレスを作ったり、布おしめも作りました。

主人は休憩時間にはメールをして、その日の様子を確認してくれました。帰りが遅くなる時は必ずもう一度連絡がありました。重いものは必ず持ってくれましたし、階段など、歩きづらいところなども避けて通るように配慮してくれました。

その後、臨月になり、逆子も治り、陣痛を待ちましたが、なかなかタイミングがなく、微弱陣痛で帝王切開することになりました。そのときにはもう、疲れ果てて早く出してほしいと思いました。

初めての大きな手術も怖くはありませんでした。婦長さんが言うには子供の右手が、へその緒に絡まっていて、普通に産んでいたら命が危なかったかもしれないとの事でした。「産んでしまったらこっちのもんよ。よくがんばったわ!」と看護婦さんが喜んでくれました。

 

辛かったけど。。。

孫には会えなかったけど、亡き父に親孝行できたことと思っています。「無事に元気な子を産んでくれ、お前にそれだけを頼みたい。」これが、父の私への遺言です。