40代ママのハッピー妊活

41歳で出産、40代半ばで幼児の子育て中。体力・気力もキツいけど子供と楽しく過ごす努力はしています。40代でも大丈夫!高齢妊活・高齢妊娠を応援するブログです。

【2人目不妊の妊活体験談】罪悪感に苦しんだ妊活

こちらの体験談は私が妊活をしていた時に他の妊活している女性の生の声が聞きたいと思い、 インタビューした内容をまとめたものです。 少しだけ前の情報ですし、妊活は人それぞれ百人十色ですが、妊娠への考えや体つくりは参考になるはずです。 あなたの妊活生活にお役に立てると嬉しいです!

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結婚して13年になります。

 

子供が欲しいと思ったのは、 結婚3年目です。 
それまでは夫婦二人の時間を楽しみたかったからです。

 

妊活に要した期間は一人目は9か月、 二人目は5年でした。

 

子供は二人います。どちらも不妊治療を受けました。一人目はタイミング療法、二人目は体外受精で妊娠しました。

 

一人目は自然妊娠、二人目は体外受精で授かる 

 

まず一人目についてです。妊娠を望むようになって、基礎体温をつけながら夫婦生活をしていました。しかし、半年を過ぎても妊娠しませんでした。不妊治療に通っていた友人がいたので、「もしかして私も不妊なのかも?」と思うようになりました。
 

そこで近くの不妊治療専門のクリニックに通い始めました。内診で卵胞チェック、血液検査でホルモンチェックを受けていました。通い始めて3周期目に子宮卵管造影検査を受けて、その直後に妊娠できました。

次に二人目は産み分けをしてくれる産婦人科で内診で卵胞チェックを受けながら妊活を始めました。一人目が男の子だったので、二人目は女の子が希望でした。

卵胞チェックを受けながらも妊娠に至りませんでした。1年半が過ぎた頃、「もう子供の性別を望んでいられない」と焦り、産み分けはやめて通常のタイミング療法にしました。

卵胞チェックに加え、セキソビットを服用しHCG注射も受けました。医師は「一人目が自然妊娠だったので二人目も自然妊娠できるだろう。」と言っていました。子宮卵管造影検査もまた受けました。一人目の時はその直後に妊娠したので期待しましたが、妊娠することはありませんでした。通常のタイミング療法はさらに1年半続けました。

気分転換もしたくてクリニックを変えることにしました。近くの体外受精もしている産婦人科に通い始めました。体外受精をしたいことを話しましたが、「まずはタイミング療法を試してほしい」と言われました。

またセキソビットを服用し、HCG注射を受けました。「またタイミング療法か」と落胆しつつも、クリニックを変えたことで少し期待していました。

半年が過ぎた後、人工受精も2回試みましたが妊娠しませんでした。その後、体外受精をしたいことを再度話しました。体外受精は2周期試みました。点鼻薬を用いてHCG注射もしていました。しかし、1周期目は良い卵胞が育っておらず、2周期目は排卵した後でした。 


そんな頃、一人目の不妊治療で通っていたクリニックが通いやすい場所に移転しました。体外受精を視野に入れてから、本当はすぐにそのクリニックに通いたかったのですが、上の子を連れて通うには時間のかかる場所だったので諦めていたのです。

そのクリニックは不妊治療専門のクリニックだったので、体外受精について丁寧に教えていただけました。1周期目で2個の採卵に成功し、そのうちの1個が順調に育ってくれました。そのまま移植になり妊娠に至り出産となりました。

 

仕事をしながらの不妊治療の大変さ、子供への罪悪感。。。

 

不妊治療の大変さを痛感したのは、まずは通院の難しさです。一人目の時も二人目の時も仕事をしながらの通院でした。不妊治療をしていることは職場には言い辛く伝えていませんでした。性的な治療であることが恥ずかしく、また妊娠できない惨めさを知られたくなかったのです。

そのため、通院のために仕事を遅刻や早退する時は、祖母が入院していることにして「主治医から祖母の病状を聞かないといけない」「病院に用がある」「子供が熱を出した」と嘘をついていました。

その罪悪感から気が狂いそうでした。嘘の理由を上司や同僚に話している時も嘘がばれていないか、自分が不自然な話し方になっていないか、気にかかりました。

二人目の不妊治療で通った二軒目のクリニックである体外受精もしている産婦人科では採卵は夜に行うことになっていました。夜しか医師の時間がとれないからでした。夜は夫が仕事で不在のこともあり、上の子を夜に一人で留守番させておくわけにいきません。夫の仕事と採卵が重ならないようにハラハラしていました。

注射や採卵のために深夜にクリニックに行くこともありました。いつも私が上の子を添い寝して寝かしつけしていたので、夜にクリニックに行く時は上の子の傍にいてあげられないことが申し訳ありませんでした。

上の子の「お母さん、どこに行くの?どうして夜に出かけるの?」と訴えてくる眼差しに心が痛みました。そして、上の子にも「おなかが痛いから病院に行ってくるの」と、また嘘の理由を言わなくてはなりませんでした。

もう一つ辛かったことは、不妊はこちらにはとても切羽詰った苦しみであるのに、医師がこちらの治療経過を把握していないまま診察していたことです。二人目の不妊治療で通った一軒目と二軒目のクリニックです。どちも一般的な産婦人科が主な診療ですから仕方ないのかもれしれません。

一軒目では女の子の産み分けを諦めて通常のタイミング療法に変えたい旨を話したにもかかわらず、その後、半年が過ぎた頃に産み分けのためのタイミングが伝えられていたことがわかりました。

二軒目では「早くステップアップしたい」と焦っている心境で、医師が「次の周期では体外受精にしよう」と言ってくれて喜んでいたのですが、次の周期に受診するとまたタイミング療法の流れを言われました。

こちらが「体外受精をするって話だったと思うのですが?」と切り出すと、医師がカルテを見直して「あれ?本当だ。どうしてだっけ?今周期はちょうど学会でいないから出来ないなぁ」と言われて落胆したこともありました。

クリニック以外のことでは、周りの環境にも苦しみました。私が子供の頃は2歳差の兄弟が多く、大人になった今でも近所や上の子が通う幼稚園では2~3歳差の兄弟が多かったのです。

 

私自身、子供の年齢が近い方が一緒に遊べていいだろうという理想がありましたし、周りから「何でもう一人産まないの?不妊?」と思われているだろうと苦しみました。

 

苦しい妊活、でも胎動が幸せを実感させてくれた

 

妊活はほとんどが苦しみでした。妊娠できない焦り、通院する忙しさ、職場や子供に嘘の理由を話す罪悪感、医師の適当な診察による失望感。

 

毎周期、「妊娠したかな?」と期待しては月経前にトイレで血液を見た時のショック。崖から突き落とされるような気持ち、「もう死にたい」という感情までよぎります。

 

ただ、私が救われたこと、恵まれていたことは、夫が治療に前向きだったことでした。元々の性格が冷静で現実主義なところがあり、医療現場で仕事をしていることからも、治療に積極的でした。「もう死にたい」と泣いた私を責めることも怒ることもなく、夫は「出来ることをやろう」とシンプルな姿勢でした。私はその姿勢についていきました。

 

始めは不妊治療、妊娠の仕組みさえ詳しくは知らなかった夫ですが、いろいろ勉強して、私と同じ疑問や悩みを共有してくれるようになりました。「私一人で苦しんでいるんじゃない。夫婦二人でこの問題に立ち向かっているんだ。」という実感がありました。

妊娠する前もした後も無事に産まれるか心配ばかりでした。食べ物や飲み物に気をつけて、体を冷やさないように気をつけて、疲れは溜めない、ストレスも溜めない、重い物は持たない、無理な体勢はしない、あれもこれも気をつけて毎日を過ごす。

 

私にとっては出産よりも良好な妊娠状態をキープする方が大変だと思っています。妊娠中の唯一の幸せは胎動でした。新しい命が宿っていること、その畏れにも似た尊さを実感できました。二人目の妊娠は軽度の切迫流産の状態が数回ありましたが、上の子が家のことをお手伝いしてくれたり、体を動かす遊びは我慢してくれました。妊娠を通して家族みんなが一丸となれた良い経験でした。